金曜日、ザ・ビューティフル<英国の唯美主義1860-1900>@三菱一号館美術館の会場で、なつかしい名前を見つけました。
イギリスの画家、ケイト・グリーナウェイのタイル絵が展示されていたのです。
ケイト・グリーナウェイと出会ったのはもう遠い昔。数えきれないほど読み返した「マザーグースの絵本」という本の、愛らしい挿絵を描いていたのがこの人でした。
帰宅してから、本棚の奥から取り出してみました。
マザーグースは英米の文化を理解する上で欠かせない伝承童謡ですが、言葉遊びやナンセンスな内容のものが多い中、たま~にわかりやすく含蓄のある歌がみつかります。
その中で一番好きなのがこれです。
「わたしが子どもであったころ」
わたしが子どもであったころ
わたしは知恵をもっていた
それはずいぶん前のこと
それから毎日日がすぎて
だけどかしこくなりゃしない
これからどんなに生きたとしても
もし 死ぬ時になったとしても
わたしはかしこくならないだろう
長く生きれば生きるだけ
わたしは馬鹿になってゆく
(マザーグースの絵本 岸田理生訳、抄録)
最初のうちはあまりピンときませんでした。自分自身が子どもに片足を突っ込んでいる年代だったせいでしょう。
そのうち、ああこういうことかと腑におちるようになり、今は、遠い昔にこの歌をつくった人の横で、一緒にため息をつきたい気分です。
人ってけっして年齢とともにただただ進歩・成長しているわけじゃない。それは世のありようを見れば一目瞭然。世のありようには、当然自分のありようも含みますけれども。
年を経る中で、忘れてしまった、できなくなってしまった、放棄してしまった、さまざまなこと。自分にくっつけてしまったよけいなもの。
せめて、たまにでも、そこに思いを致すこと。
そして、「私って賢いわ、ふふん」なんて思いそうになったら、「いや、今まさに馬鹿になってるよ」と、自分に言ってあげられる自分でいたいと思います。
。。。元々は何の話でしたっけ?ああそう、展覧会をきっかけに、何年ぶりかで古い本を開くことになった、という話でした。展覧会自体は、素敵ではありましたが、全体にもう少しインパクトが欲しかったです。5月6日まで開かれています。
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