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豊かさを邪魔するものはビンボーではなくビンボー臭さである

富

富める者はますます富み、貧しき者は持っているわずかな物でさえ取り去られる

と新約聖書では言っていて、実に聞き捨てならないというか含蓄のある言葉だと思うのですが、その前に、富や豊かさの定義ってなんでしょう?

私は、「精神」や「意識」という面で考えるほうが腑に落ちるし、まずそこに目を向けるのが、豊かに生きる道だと思っています。

別にお金は問題ではないなんて綺麗事を言いたいわけではなく、お金も大切です。少ないよりはたっぷりあるほうがいいです。

でも、資産はあっても精神的な貧しさを感じさせる人がいるのも、また事実です。

たとえば、人を押しのけて利益を独り占めしようとする、いつも金銭的なものを基準にして人や物事を判断する、あるいは、ねたみひがみそねみで頭がいっぱいで、人の悪口ばかり。。。

そういう人は、深層心理に何らかの「深い欠落感」があって、そこから目をそむけているのです。どれだけお金があっても心がビンボー臭いのです。

豊かな意識状態というのは、一言で言えば余裕があって自然でいられて、生きていることが楽しいと感じる状態でしょうか。

そういう時、人は「あれが足りないこれが足りない」とカリカリすることもないし、必要以上にお金に執着しません。お金のある人をうらやむこともなく、お金のない人を見下すこともなく、身の丈に合った暮らしを楽しめます。

森鴎外の娘で文壇史上に輝くお嬢様文士・森茉莉は、『贅沢貧乏』というエッセイを書いていますが、この中で言われている「贅沢」というのも、実質的には「豊かさ」のことだと言えましょう。

なぜなら、こんなふうに言っているからです。「中身の心持ちが贅沢で、月給の中で楽々と買った木綿の洋服(着替え用に二三枚買う)を着ているお嬢さんは貧乏臭くはなくて立派に贅沢である」。

贅沢な精神の例として「指環などをなくしても、心持ちがゆったりしているから醜い慌て方や悔しがり方などはせず、呑気な感じ」というふうにも言っています。

お金やモノを「大切にする」のと「執着する」のとは違いますものね。

余裕があって自然で、生きることが楽しくて、お金やモノに執着しすぎない。そうした精神のありかた、身につけたいです。

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